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クルッポ4

2009年05月15日
◆ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』


 16世紀のイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスが、ヨーロッパ文化と日本文化の違いをまとめたもの。
 「われわれは○○だが、日本人は○○だ」ってな形式で、ずらずら書かれてます。
 まぁ色々と見て行きましょうか。

1 ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。(p. 39)


 向こうはヴァージニア州(アメリカだけど、元はイギリスの植民地ですよね)ってのがあるくらいですしねぇ……w
 こっちは処女がAVのネタになるような国ですからねー……w
 今でも向こうはこー、性教育とかについては厳しいのかなぁ。
 日本はムッツリばっかりですからねぇ……w

39 ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりほとんど全くない。日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう。(p. 51)


 これはフロイスの偏見ではなく、事実みたいです。注釈にも書かれてました。
 むぅ。500年近く経った今でも、日本では多いですよね、子供を殺すの……。学校で出産→ゴミ箱に捨てて殺すみたいな。
 どうやらこれは、避妊がどうのこうのだけの問題じゃないみたいですね。日本人の精神性とかも、絡んでくるんじゃないでしょうか。そういった部分を、きちんと子供に理解させないといけないんでしょうねぇ。

10 われわれの教師は、子供たちに教義や貴い、正しい行儀作法を教える。坊主は彼らに弾奏や唱歌、遊戯、撃剣などを教え、また彼らと忌わしい行為をする。(p. 65)

 アッー!
 ん〜、やっぱり500年前も今も、変わらないですねぇ……w
 「女子高生とか好きだから!!」って言っちゃう人が、学校の先生を務める国ですからねw

7 われわれはスープが無くとも結構食事をすることができる。日本人は汁xiruが無いと食事ができない。(p. 93)


 こいつ、分かってないな……wシメはお味噌汁に決まってるでしょうが!w

38 われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿Tonoはいかがなされた。」と尋ねると、「酔っ払ったのだ。」と答える。(p. 103)


 サラリーマンの接待でもありますよねw
 「殿っ! 良い飲みっぷりですっ! さすがですっ」「君も飲まんかね、ははははは」みたいなw
 ところで、ニコ動でも似たようなのありました。在日外国人の、日本の嫌いな部分として、「酔っ払い」w
 日本人は、弱いくせに酒を飲むって……w

 他にもまぁ面白い部分(突っ込みどころ)はたくさんありますねぇ。
 もうまったく面影すらもなくなってしまった日本の文化も、いっぱい載ってます。
 是非ドウゾー。

ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』 (講談社学術文庫)
川崎桃太『フロイスの見た戦国日本』 (中公文庫)


◆石弘之『地球環境報告』


 地球生態系の崩壊を訴えた本です。
世界を突きつけられる内容っ!

 まずはこのように分けます!
 1:人口
 2:災害
 3:汚染

 へばっ。

 1:人口
 人口増加によって、自然環境が破壊されている可能性がある、と。
 農村部に人が増える→土地の酷使→自然環境の悪化、となるんですね。
 それならもっとバランスよく土地を使えばいいんじゃない? という疑問がわきます。 
 しかし、それができないんですよね。
 理由は、良い土地は、すでに地主によって支配されてしまっているからと。たとえば中南米の土地の93%は、人口の7%の人々によって独占(=囲い込み)されているというのです。
 
 で、働けない(土地がない)人は、生きる道を求めて都市に流れ込みます。
 だけど当たり前ですが仕事なんてあるわけがなく、スラムが出来上がるわけです。
 スラムに住めるのはまだ幸運な方で、インドのカルカッタでは人口の10分の1(150万人)が路上で寝起きしていると。
 燃料は牛のフン、人々の最大の死因は下痢。そんな現状だというのです。
 
 この、農村部で土地がない→都市でスラムが形成の流れは、どうしても食い止められない、と。
 農村部に食料を与えると都市で暴動が起き、都市に食料を与えると農村部で餓死者が出る、そういう流れができてしまってるんです。

 2:災害
 まずは森林の問題ですねー。熱帯林の森林は、過去50年間で半分になってしまった、と言われているそうです。
 その原因は焼畑と伐採。でもこれも、土地を求めて熱帯林に入り込んだ人たちが、仕事のためにやっていることなのです。上の問題とリンクしているわけですね……
 森林破壊が人類に与える影響は、これからいろいろと問題になっていくでしょうね。地球温暖化だとか。

 次に土壌の問題です。土地の酷使によって、土地がどんどん砂漠化していってる、と。
 特にエチオピアでは、土壌流失によって1年間で100万人以上もの餓死者を出したそうです。
 土壌流失の原因は、無理な耕地の拡大や休耕期間の短縮。これも上の問題とリンクしますねぇ……
 解決方法として、灌漑農業の建設、があるみたいです。ですが、一つの灌漑農業を建設するために、どこかの土地を犠牲にしなくちゃいけない、と。灌漑農業を建設する際に出る塩類が、集積して、畑が砂漠と化す場合があるそうなんですねぇ……

 最後に飢餓。
 飢餓の定義は難しいそうですが、十分に栄養の取れない人口が世界に7億人いる、と。
 特にその8割が女性と子供で、特に子供は、毎日4万人、年間1400万人が亡くなっているというのです。
 で。飢餓に苦しむ国々を見ていると、なぜか輸出が多いことに気付く、と。
 なぜか? それは、上で書いた囲い込みの問題に繋がるわけです。
 自分たちの食料を作りたいんだけども、地主がそれを許してくれない。ずっと前にテレビでやってましたねぇ、強制的にカカオを作らされる子供たちのこと……
 発展途上国の子供たちは、7歳になると働きにいかないといけないのです。

 3:汚染
 これはもう説明不要かもしれませんねぇ。アスベストとか、酸性雨の問題です。
 アスベストは最近取り上げられましたねー。酸性雨は、日本は窒素と酸化物の規制がすごく上手いこといっているらしく、なかなか問題視されません。
 でも、世界に目を向けてみると、そうでもない、と。
 中国で酸性雨は「空中死神」(そのままw)と呼ばれていて、全国的な被害があるそう。カナダも同じで、その原因が隣国である米国の工業地帯にあるとか。
 
 次に農薬。これも、説明不要でしょうかね。
 虫発生→農薬→虫が進化→さらに強い農薬→さらに進化→さらにさらに(略)のいたちごっこが、起こっているわけですね。
 これらの解決として、情報の公開と規制が挙げられます。
 情報の公開は、今は、汚染データを公開しない場合が少なくない、とのこと。理由は「保護」だとか、「混乱を避けるため」だとか。
 それから規制は、消費者一人一人に向けられる問題だ、と。

 最後に公害の輸出。
 先進国は、公害を、発展途上国に輸出しているというのです。
 日本では、60、70年代に、反公害運動が起こり、企業は国内から逃げ出さなくちゃいけなくなりました。規制のない発展途上国に工場を作って、活路を見出そうとしたわけです。
 だから今現在、発展途上国では、先進国では厳しく規制されている薬剤でも、野放しで売られているとのこと。さらに地元の医師ですら、副作用などについては知らされていないと。
 
 以上ですかねー。
 最後にあとがきで、希望として、最近(といっても20年前ですが)、米国で大規模な自然保護運動が行われ、コスタリカの熱帯雨林の保護が、これでかなり前進したというのです。
 でも、こういったことを行っているのは米国だけで、他の先進国に目立った動きはないと。日欧が本気を出せば、森林保護はさらに進展するに違いないと。
 
 ふぅむ、とんでもないことになっているんですね……(´・ω・`)
 本の中には写真もあって、それが凄まじい……。
 こういうの読んでたら、小沢健二とかちょっと尊敬しちゃいますねぇ……。
 はふぅ僕も小説家になって収入が入るようになったら、ボランティア団体とかNPOに加入してみようかな……。

 それにしても、こういうのに反発して「環境破壊はデタラメだ!」「地球温暖化は嘘だ!」っていう本が出たりするんですよね。
 たしかに逆説モノって面白いけど、商業臭しまくりですよねー……。
 悲しいことです(´・ω・`)
 一応それも貼っておきますがw

石弘之『地球環境報告〈2〉』 (岩波新書)
アル・ゴア『不都合な真実』
武田邦彦『日本人はなぜ環境問題にだまされるのか』 (PHP新書)
日常

クルッポ3

2009年05月14日
◆夏目漱石『我輩は猫である』

 
 にゃーにゃー猫かいなっ。
 多分、日本人なら誰でも知っている小説ですよねw
 冒頭部分はもちろん、「我輩は猫である。名前はまだない」(p. 10)ですよ〜w
 だけど題名と冒頭部分は知ってても、肝心な中身を知らないって人が結構いるはず!
 なので、気合で紹介したいと思いますー。

 一言で言えば、コメディですね。もうちょっと詳しく言えば、なんだろ、語り手の猫が、主人(苦沙弥先生)の生活をだらだら観察するストーリー……でしょうかw
 観察して、「人間って……オモシロッ」みたいな風に言うわけですw

 ところで、かなり『トリストラム・シャンディ』に影響受けてますよねw
 主人公が物語に関係しないってこととか、鼻とかwっていうか作中にも『トリストラム・シャンディ』の名前が出てきますからね……w
 漱石は、何を『トリストラム・シャンディ』から得たんだろう? と僕は考えました。
 それは、語彙力がないので上手く言えませんが(それでも作家志望かw)、読者を、ただの「読者」にしないってことだと思いました。
 どういうことか? といいますと……
 『トリストラム・シャンディ』には、「ラクガキしろ」とか「想像しろ」とかいうのが出てきます。これは、読者をただの「読者」にするんじゃなくて、「参加者」にしようとしているんですよね。
 で『我輩は猫である』ですけど、これも似たような感じだなぁと思ったんです。ただ『我輩は猫である』には「ラクガキしろ」とか「想像しろ」とかは出てきません。なので、読者は「参加者」にはなれませんね。この小説の場合、読者を「参加者」じゃなくて、なんだろ……こー「生徒」みたいな感じにさせようとしているのかな、って思ったんです。
 猫は、ラストまでずっと一人ぼっちですよね。
 恋をした三毛猫はすぐ死ぬし、「ニャー」としか言えないし、人間とコミュニケーションとれないし。
 でも、実は、心の中でものすごく色んなことを考えてると。しかもそれは、「天気が良いにゃー」とかじゃなくて、「まったく人間はなんてアホなんだ」みたいな感じで、痛烈で、的を得てるんですね……w
 まさか猫がそんなこと考えてるとは、ってw
 で、これのどこが読者を「生徒」にさせているのかというと、つまりはこういうことかなと思ったんです。「今まで常識的に考えてきたことは、ちょっと見方を変えると、疑わしいものなんだよ」と、「先生」から告げられているような気がしたんですよね。だから読者はいろいろと考えざるをえなくなってしまいます。「猫=頭の悪い動物」ではないのかもしれない、とか、ああ苦沙弥って自分っぽいな。自分を遠めで見たらこんな感じなのか、とか。
 走り書きでうまく伝わったかどうか不安ですが、僕はこういう風に読めました。

 それにしても500ページもあって(しかも字が小さいし改行もほとんどないw)、読むのに疲れましたよ……w
 でも、なんかこれを読んでたら、「あー、村上春樹の登場って、なんか必然だったのかなぁ」とか思えちゃったりしますね……w

夏目漱石『私の個人主義』 (講談社学術文庫 271)
竹本健治『ウロボロスの偽書 上』 講談社文庫 た 27-2(冒頭が……w)
奥泉光『吾輩は猫である」殺人事件』 (新潮文庫)

◆シェイクスピア『ヴェニスの商人』


 これも、誰でも知ってそうな感じの名作!
 喜劇か悲劇か? で意見が分かれているみたいですが、僕はこれは喜劇でいいと思いますw
 
 あらすじは……
 商人アントーニオーは、親友の恋のために、悪徳高利貸しのシャイロックから借金をしてしまうんです。その担保は、「胸の肉1ポンド」。アントーニオーは、金持ちだからぜんぜん平気だよって言うんですが、ある日、アントーニオーの商船が遭難してしまって、彼は無一文になってしまうんです。で、ついに裁判が行われて、アントーニオーは「胸の肉1ポンド」を支払わなければいけなくなってしまう……という。
 こんな感じでしょーか。
 
 上手い具合にネタバレさせずに、なぜ「喜劇か悲劇か」が問題になっているのかを説明すると……w
 誰を重要人物と見なして読むか? によって、見方が変わってくるからなんですよね。
 普通に読むと喜劇、深読みすると悲劇って感じでしょうか。でもここは、喜劇ってことにしておきましょうw昔は「悲劇こそが最高の劇の形態なんだ」という考えがありましたから、なんでも悲劇にしたがるんでしょうね……w
 
 僕のオススメの読み方は、突っ込みまくって読むことです……w「ええ!? それちょっとひどくね!?」みたいな……w
 特に裁判のシーンなんかは、なんていうかこう……「いい加減許してやれよ……w」って言いたくなってきますwあと「いやいやそれはないっしょ……w」とか……w
 それからグラシャーノーっていうどうでもいいキャラの、後半のテンションがオモチロイwなんでそう絡んでくるんだよって……w
 とまぁ、マンガ風に読むのがいいと思います……w

 マジメな悲劇が読みたい方は、『リア王』が一番いいですかねー。

シェイクスピア『ハムレット』 (新潮文庫)
シェイクスピア『ロミオとジュリエット』 (新潮文庫)
シェイクスピア『リア王』 (新潮文庫)

◆網野善彦『日本社会の歴史』


 日本の成り立ちを勉強しなおすは、最も最高で一番ベストかと!

 内容は、
 1:縄文時代
 2:弥生時代
 3:日本の誕生(〜700年)
 4:日本の誕生(700年〜)

 みたいな感じです。
 箇条書きで行きましょう!w

 1:縄文時代
  ・人口は、たった26万人。
  ・平均寿命30歳前後。
  ・差別はなかった。
  ・牧畜をして、くり。とかを拾って食べてた。
  ・分業(男は仕事、女は家庭)が、その頃からあった。
  ・巫女さん(!!11)がいた。

 2:弥生時代
  ・水田が始まる(朝鮮から輸入)。
  ・鍛冶屋とかの技術集団が出てくる。
  ・漢字。
  ・卑弥呼登場。
  ・近畿地方に首長、大首長が出てきて、差別が始まる。
  ・氏姓制度もこの頃から。
  ・儒教、仏教もこの頃から。

 3:日本の誕生(〜700年)
  ・近畿地方を治めていた大王が、天皇と名乗り出す。
  ・「倭」から「日本」へ。
  ・大宝律令=当時の法典!
  ・早熟な社会=女性の地位が高かったり、分業が進んでいたりはした。だけどその分、平民に重い負担を強制していた。一方で貴族は優遇されるという矛盾があった。

 4:日本の誕生(700年〜900年)
  ・墾田永年私財法=土地の貴族所有が進んだ。
  ・『日本書紀』や『風土記』や和同開珎なんかが作られた。
  ・東北との戦争(三十八年戦争)。
  ・710年→平城京、794年→平安京
  ・海賊が出没し、日本は孤立していく。
  
 うん、すごい大雑把w
 足りない部分は本を読んで補完してくださいましw
 ただ……こういうのを見てると、いかに近代の進歩がものすごいか分かるなぁ……w

網野善彦『日本社会の歴史〈中〉』 (岩波新書)
網野善彦『日本社会の歴史〈下〉』 (岩波新書)
網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全)』 (ちくま学芸文庫)

日常

クルッポ2

2009年05月12日
強調文◆バルト『物語の構造分析』


 バルトの中で一番有名なのは、これか、『エクリチュールの零度』でしょうか。
 きっと英米文学専攻の方は、嫌というほど名前を聞いたはず。
 でも、めんどくさいから読んでなーい><って方のために、やんわりと説明したいと思います。

 何章かに分けられているんですが、やっぱり面白くて読みやすくて重要なのは、「作者の死」「作品からテクストへ」でしょうかねー。
 まず「作者の死」とは?
 それは、こういうことです。一つの物語は、「作者」によって書かれた「作品」ではない、ということですかねー。
 詳しく説明すると、一つの物語が「作者」によって書かれたものだとすると、私たちはそこから「作者」の言いたいことはどういうことなんだろう? と探さないといけませんよね。でも、バルトは、「そんなことしなくていいんだよ」というんです。「人それぞれの読み方があっていいんだよ。作者のメッセージ? んなもん気にしない気にしない」、と。

 われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、「作者=神」の≪メッセージ≫ということになろ)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは無数にある文化の中心からやってきた引用の織物である。(p. 86)


 つまりは「テクストはいろいろな意味で構成されているんだ。それは、読者がそれぞれ好きなように解釈していいんだ」って感じですかね。
 
 ここでミスっちゃダメなのが、「テクスト」「作品」の違いなんですよね。
 では次に「作品からテクストへ」の説明に参りましょう……!
 違いは簡単。「作品」っていうのは、「作者」が作ったもの、「テクスト」っていうのは、「一つの物語」。こんな区別でいいでしょうかね?

 作品は系譜の過程にとらえられている。……作者は作品の父であり、所有者であると見なされる。……「テクスト」はといえば、「父」の記号なしに読まれる。(p. 99)


 で、もちろんバルトは「テクスト」「作品」だというわけです。
 その理由は?
 それは、こうです。一つの物語を「作品」とするならば、それは「芸術」ではなく「消費物」になってしまうじゃないか、と。それではいけない、と。

 作品は、一般に、消費の対象である。……「テクスト」は(その頻繁な≪読みにくさ≫だけによるとしても)、作品を消費からすくいとり(といっても、作品がそれを許せばだが)、作品を遊戯、労働、生産、実践として回収する。(p. 101)


 つまりは人が、一つの物語を「テクスト」として読むとき、「作品」は消費物から解放され、世界がどーんと広がる、ということですかねー。

 と、まぁこんな感じでしょうか。
 バルトといえばさらに「エクリチュール」という有名な批評概念を打ち立てましたが……それはややこしいので省きましょう!w
 ではではー。

バルト『明るい部屋―写真についての覚書』
バルト『エクリチュールの零(ゼロ)度』 (ちくま学芸文庫)
バルト『ロラン・バルト映画論集』 (ちくま学芸文庫)

◆宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


 銀河鉄道のー夜ー♪ 僕はもう空の向こうー♪
 やー、良いですねぇ。
 死んだら星になるって、まさにこのことなんだなぁって感じですね……w

 さてさて短編、中編がいくつか収録されてあるのですが……
 やっぱり面白いのは「銀河鉄道の夜」と「セロ弾きのゴーシュ」でしょーかねー。
 「銀河鉄道の夜」は、ジョバンニがカムパネルラとともに銀河鉄道に乗って、たくさんの星を旅すると。こんな物語です。
  『銀河鉄道999』の元ネタにもなったさくひ……ゲフゲフ、テクストでございますっ!
 ところで前に銀杏BOYZの峯田が、「僕たちしっかりやろうねぇ」の部分が好きだと言っていたのを、思い出しましたw

 「セロ弾きのゴーシュ」は、絵本になってるやつですねぇw
 とにかくかっこうが可愛すぎたw

 宮沢賢治の詩や小説って、なんかフワッフワしてるんですよね。作家志望の癖に語彙力ないなって感じですが、とにかくフワッフワしてるんです。
 人の優しさとか、いとおしさっていうのに近いですけど、ちょっと違うんですよね。
 なんていうか、リアルな「死」が前提になっている気がするというか。
 それが魅力的ですねーっ。
 
 それにしても、星めぐりの歌も、銀河鉄道も、乗ったことないのに、今そこにあるような気分になってしまうなぁ。文学ってすごいですねぇw

宮沢賢治『新編宮沢賢治詩集』 (新潮文庫)
高橋源一郎『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』

◆ゲーテ『ファウスト 二』


 壮大すぎ……w
 
 あらすじ。
 頭が良すぎて、世の中に絶望した人がいました。彼の名前はファウスト。ある日ファウストは悪魔メフィストフェレスに出会います。で、「好きな願いをかなえてやりますぜ旦那」と。「もし旦那が、そうして世の中って最高! って思ってしまったら、旦那の魂を頂きやすぜ」。ファウストはこれに、「うんいいよ。どうせ世の中ってくだらねーし。好きにしてくれよ」と言います。
 第一部では、若返って女の子に恋をします。で、紆余曲折あって、冥界に降りていきます。……w
 ここからが第二部なんですが、もうね、どんだけ神が出てくるんだと
 もうね、いろんな神のカーニヴァル。神どころか、罪過とか困窮とか憂いとかの、人間の心理までもが登場人物になって出てきますw
 で、主人公のファウストは「ああくそっ、いや、違うんだっ」みたいな感じで葛藤するわけですが……
 ラストはなかなか感動的ですよ。
 ファウストはけっきょく、「この世界はすばらしーんだ」って思ってしまい、メフィストフェレスの賭けに負けるのです。でも、ファウストの悟りによって、天使が召還されて、彼の魂は地獄に堕ちず、天に昇っていくという……。イイハナシダナー。

 救われて良かったっ!
 って思いますね。や、本当にただの感想文になっちゃいますけど……w
 坂口安吾は、「救いのないことが救いなんだ」っていうけど、「この世には救いなんてない」って、それに気付くことが「救い」なんですよねー。
 むー、こんな感じの小説を書きたいものです……w

 ところで個人的な話になっちゃいますが、僕は葛藤ってのが好きなんですよねー……。
 外国の文学って、葛藤しまくりじゃないですか。『ヨブ記』とか、『カラマーゾフの兄弟』とか。
 葛藤して困惑して、最終的にやっと何か見つけるんだけど、それはただの石ころでしたー! わははー! っていうのがすごく好きですね……w

ゲーテ『ファウスト (第1部)』 (新潮文庫)
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』 (新潮文庫)
ゲーテ『ゲーテ格言集』 (新潮文庫)
日常

クルッポ

2009年05月09日
◆ハイデガー『存在と時間 上』


 むむむ……
 こいつはまた難敵が出現しましたw
 なるべく簡単に説明できたらいいのですが……w
 
 つまりは実存主義の基礎を作った人、という紹介でいいでしょうかね。
 実存主義というのは、簡単にいえば、「現実に存在しているんだ」ってことなんです。
 さらに詳しく言うと……
 昔の人は、「この世界は神によって創られたんだ」って思ってました。だから豊作は神の恵み、自然災害は神の怒り、みたいな。世の中のもの=神が創ったもの、だったわけです。
 それに対して、「ちょっと待てよ」と言ったのがデカルトでした。デカルトは、とりあえず世の中のものを疑ってみることから始めたんです。で、それらすべてを「疑わしいな」と思いました。そして、「疑わしい」と思う、「自分自身」だけはたしかな存在だ、と気付いたんです。これが「我思う、ゆえに我あり」、と。
 で、ここでハイデガーが出てくるわけです。
 ハイデガーは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の考えの、「我」の部分をつきつめて考えようとするんです。
 つまりは、「存在」ってどういうことだ? と。
 これがまず第一歩ですかねー。

 ええと、まだ上巻を読んだだけでぜんぜん把握しきれてないのですが……
 まずハイデガーは、「道具」に注目します。
 ハイデガーさんはこう考えます。「道具って、単なる物体じゃないよなー?」
 たとえばハサミ。ハサミは、ハサミとして存在しているわけじゃないのです。物を切る「ための」道具「として」、存在しているわけです。
 道具は、全部、この「ための」と「として」で構成されています。そして世界は、これらが出会う場所なんだ、と。
 この本質的な世界のことを、「内存在」とか「内世界」とか呼びます。

 んで、ここで「人(Man)」と呼ばれる存在がでてきます。
 「人」は、ほかの「人」と同じことをやりたがるのです。
 で、ハイデガーは、この「人」になってはいけないんだよというんです。
 んー……どういうことかというと、「内存在」を無視して、適当に生きるのはダメだ、と。
 つまりは、「神の恵み? 神の怒り? そんなのに騙されてちゃいけない。内存在を見つめるんだよ」みたいな感じでしょうか。

 超まとめると、「せっかく私たちは動物と違って、『内存在』を意識できるんだから。『人』になってはいけないよ。私たちは『人』じゃなくて、私たち自身そのものなんだよ」という感じでしょうかね?
 誤訳している可能性は大有りですが……ヽ(´ー`)ノw
 もし間違っていたら、やんわりと指摘してくださいねえw

 ところで、岩波よりもちくま文庫のほうがいいのかなぁ……w 
 入門には、木田元さんの本がいいみたいですね。

ハイデッガー『存在と時間〈上〉』 (ちくま学芸文庫)
木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』 (岩波現代文庫―学術)
木田元『ハイデガーの思想』 (岩波新書)

◆デュルケム『社会分業論 下』


 ふぅ。読み終わり。
 えぇと、先に言っておきましょう。
 僕は文学科であり、社会学科ではないので、専門的な読み方はできませんヽ(´ー`)ノw
 なので、誤読している可能性ありまくりです。ですので社会学科、もしくは社会学に興味がある人は自分で本を買って、読んで、理解なされるのがベストかと思いますw

 と、いうわけで、いきましょう。まずは簡単に。
 デュルケムさんは何を言いたいのか。それは、「連帯ってスバラシーじゃん」ということです。
 当時、分業って考えがありまして、それは嫌われてたんですよね。「なんで自由に仕事させてくれねーんだよ」って。
 でも、デュルケムさんは、社会の発展は、「分業」によってもたらされてきたんだ、的なことを言うんですよね。
 しかし上のとおり、分業は嫌われているので、社会が発展するにつれ連帯が弱くなってきている、というんです。
 
 で、デュルケムさんは「やりたくない仕事でもやらなきゃいけないんだよ」ってなことを言うんです。
 「自由に仕事したい! って気持ちは分かるよ。でも、それは本当に自由なのかい?」と。
 そして、「自由ってのは、何かにしばられている中に見つけるものなんだ」というのです。

 ……有機体においては、諸定職(諸機能)は決してこのように不変に分配されてはいない。そこでは、組織の枠組みが最も厳重である場合でさえ、個人は、運命的に彼を固定している枠組みの内部においても、或る程度自由をもって活動することができる。(p. 160)


 つまりは、分業を受け入れようよと。
 古来から人間は分業して生きてきたじゃないかと。
 そして、分業にこそ幸せがあるんだよと。
 

 ……分業は発展するに従って、より同質的な社会においては滅亡することを余儀なくされるより多数の諸個人に、自らを維持し生き残る手段を提供する。(p. 70)


 こういうことをいうんですねぇ。
 簡単にまとめると、「分業しようぜ皆! そしてそこから生まれる連帯ってのは、すごいものなんだぜ!」的な感じですね。

 まぁだいたいこんな感じでOKでしょうか……w
 核の部分だけを抜き出した結果です……w
 研究したい方、もっと詳しく知りたい方は本を買って読んでくださいましー。

デュルケム『社会分業論〈上〉』 (講談社学術文庫)
デュルケーム『自殺論』 (中公文庫)

◆高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』


 わー。
 これは名著!
 高橋源一郎さんを好きな人も、そうでない人も、一生に一度は読んでくださいっ。
 本当に感動します。

 今回は趣向を凝らして(?)、Q&A方式で紹介したい風に思いますw

 (Q)どういう内容?
 (A)「小説を書こうよ」。ただそれだけです。

 (Q)他の小説のハウツー本と、どう違うの?
 (A)「小説の書き方」は、一切載っていないということです。

 (Q)じゃあ何が書かれているの?
 (A)「クジラの足を数えようよ」ということです。

 (Q)え。

 ……何のこっちゃ分かりませんねヽ(´ー`)ノ
 だけど、僕はこれを読んで、ものすごく小説が書きたくなりました。
 や、作家志望だから、ってわけじゃないんです。
 その理由を次に書きます。

 (Q)本当にこれを読んで、小説が書けるようになるの?
 (A)小説を書くのはあなたです。書けるようになるかは、あなた次第です。

 (Q)んな無責任な! じゃあどこが「小説教室」
 (A)小説は誰だって書けるんです。肝心なのは、小説を書きたい気持ちになるということなんです。

 (Q)じゃあこれを読んだら、小説を書きたくなってくる?
 (A)なります。っていうか、なりました。
 
 小説教室らしく、本にはいくつかの「鍵」と「レッスン」が書かれています。
 流れとしては、
 1:「小説を書いたことがない」という真っ白な状態を、思いっきり楽しもう。
 2:小説と、遊んでみよう。
 3:小説を、書き始めてみよう。←ほんのちょっとw
 こんな感じですね。

 文体は、高橋源一郎さんらしい、メチャクチャ優しい言葉で溢れてます。 
 それから、親切なブックガイドなんかもあって、すごく役に立ちます。
 そして最後は……ちょっと泣いてしまうかもしれません。

 おすすめですっ。

柴田元幸、高橋源一郎『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』 (講談社文芸文庫)
高橋源一郎『ニッポンの小説―百年の孤独』
日常

くり。

2009年05月07日
◆雑記

 「くり。」
 ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ。

◆宮台真司『日本の難点』


 はい、きました!w
 お騒がせ社会学者宮台さんの新刊ですm9(^Д^)w

 内容は、『日本の論点』の宮台版。日本が抱えるいろんな問題を紹介&補足してくれます。
 さて宮台さんとは?……ってまぁ言わずもがなな感じでしょうか……w
 90〜00年の論壇を、良くも悪くも賑わせた人。援助交際やサブカルなんかを、フィールドワークで研究してました。とにかく攻撃的というよりは挑発的で、右も左もおかまいなしに噛み付きます。
 
 本書は、宮台さんの思想のまとめみたいなものですねー。宮台入門にはちょうどいいかもしれません。
 名前はよく聞くし、興味はあるけど……って人のために、宮台さんについての簡単な紹介をしましょうー。

 んー、僕が適当に選んだ面白いと思う部分を、いくつか適当に分けますね。
 1:スゴイやつに感染
 2:メディア
 3:社会
 4:武装

 とこんな感じですねー。

 1:スゴイやつへの感染
 これは、宮台さんの思想の核の部分だと思います。僕も、この考えはすごく好きです。
 「スゴイやつに感染」とはどういうことかというと、たとえば「勉強をする理由」で、「人よりも偉くなりたいから」とか、「理解できたら嬉しいから」とかいうのがありますよね。でも、それらは壊れやすいんだ、って宮台さんは言うんです。それよりも大事なのは、「スゴイやつに感染」することだ、と。
 もちょっと詳しく言うと、「こういう人になりたい!」っていう感覚なんですよね。それが、今の社会にはないんじゃないかな、と。
 「スゴイやつに感染」することによって得られた意思というのは、かなーり強固なんですよね。たとえば、はてなによくいる「劣化東浩紀」(宇野さんが言ったんですよ。僕は劣化だなんて思ってませんw)なんかも、「東浩紀」に感染した結果ですよねー。彼らは東さんの本や、東さんの紹介する本を読んで、東さんの文体を真似て、東さんのような記事を書きますよね。そういう「感染」ってのが、日本人には必要なんだよというんですー。

 2:メディア
 とにかく宮台さんは、自分のネット番組『マル激』をかなり推しますw
 広告料を取らないのに、毎月黒字なんだぜと。
 その理由は、あれは「高水準かつ低コスト」だからなんですって。
 で、今日本のテレビ業界が廃れてあたふたしているのを見て、「アホか」的なことを言うんですね。テレビなんて今時流行らないから、セットを極端にショボくして、そのぶん質を上げればいいじゃないかと。

 3:社会
 宮台さんは自称、「新自由主義者」です。
 新自由主義とは、「小さな政府」で「大きな社会」を目指すものだと宮台さんは言います。
 でも今は「小さな政府」で「小さな社会」になってしまっているんだ、と。
 「大きな社会」、つまりは「包摂的社会」のためには、子供たちが「スゴイやつに感染」できるように、さまざまな機会を作るべきだというんですねー。

 4:武装
 宮台さんが提唱する日本の武装のあり方は、「重武装・対米中立」だと。で今は、「軽武装・対米依存」だからダメだと。
 とにかく「反撃する能力があるぞ」、と思わせとくのが大事なんですって。
 で、アメリカ依存していても、肝心のアメリカが日本を助けてくれるかどうか分からないから、「中立」がいいだろうと。
 や、簡単に書いちゃってますが、本当はもっと論理的ですwその部分は、各人本を買って脳内補完してくださるのがベストかとw

 だいたい大まかに書いたらこんな感じですねぇ。
 ちなみに僕は宮台さん好きです。だけど、「俺は今まで数々の敵を挑発して論破してきたんだぜ」と鼻高々に威張り散らすのはやめてもらいたいものです……w
 昔と比べて、番組や対談なんかじゃかなり紳士になったのに、どうして本やブログの記事だとこうも挑発的になるのか……まぁでも宮台さんの敵は読者じゃないですからね……こればっかりはどうしようもないんでしょうけどw
 
宮台真司『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』
東浩紀、北田暁大、宮台真司、大澤真幸、鈴木謙介『波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由』
藤原和博、宮台真司『人生の教科書 よのなかのルール』 (ちくま文庫)

◆カント『純粋理性批判』
 

 ようやく読み終わりました、『純粋』シリーズw
 そうなんですねぇー……ふむふむ。これはやはり宮台さんが上の本で言ったいたように、予定説のカント解釈みたいな感じなんでしょうかねぇ。

 とにかく哲学は難しく考えたら負けですよね。難しく考えるのは、読者の仕事じゃなくて作者の仕事ですから。
 なのでとりわけ簡単に紹介していきますっ。
 
 まず、やっぱり理性の話なんですね。人間と動物の違いが、この理性だと。で理性っていうのは、物事を正しく推理して判断する、特別な力なんですね。
 ここで、ヒュームという人が出てきます。ヒュームが言うには、理性というのは、経験によってのみ訓練されていくというのです。 

 ……そこでヒュームは、このことから次のような結論を引き出し得ると考えた、即ち――経験がなければ、我々は概念を増大し得るようなもの、またア・プリオリに自信を拡張する(総合的)判断を下し得るような機能を我々に与えるところのものを何一つ持つことができない、ということである。(p. 63)

 で、これに対してカントは、理性は人間に元々備わっているものだ、っていうんですね。
 ということは、生まれたときにある程度、その人のモデルみたいなのは決定してしまっていると。一生ワナビな人間は、一生ワナビなんだよと。まぁそいうことでしょうかねー。

 でも、だからといって、人生を諦めるのはまだ早い、と。
 神にはなれないけど、神に近づくことはできるし、それをすべきだというんですね。
 人は、けっきょく生まれ変わることなんてできません。でも、理想の自分に近づくことはできるし、それをすべきだと。
 簡単に言ってしまうとカントの思想って、こんな感じですか……ヽ(´ー`)ノw

 おそらく世界で一番難しく、読みにくい本ではないかと思いますねぇ……w
 だけども1日50ページずつ読んでいくと、何かが見えてきますw
 よく分かりませんがそれはきっと悪いことではないかと! オススメしますー。

 さてー、次は『実践理性批判』にチャレンジですっ……w
カント『実践理性批判』 (岩波文庫)
カント『プロレゴーメナ・人倫の形而上学の基礎づけ』 (中公クラシックス)
石川文康『カント入門』 (ちくま新書)

◆大江健三郎『死者の奢り・飼育』


 どうもです!
 ノーベル文学賞受賞者、大江さん。ただしそのことを知っている日本人って、案外少ないですよね……w
 まぁここで、頑張って大江さんの魅力を語りたいと思います。頑張ります。

 まず大江の文章って、本当に鋭いんですよねぇ。
 読書メーターでも言ったことですけど、頭の中をバリカンで削られていくような感覚なんです。
 それはどうしてなんでしょうね? 僕個人の考えでは、「作者の存在を感じさせない」ってとこにある気がします。
 「自分の言葉」を極限にまで抑えることによって、一個に独立した「実在性」というものを作り出すことができてるんじゃないかなぁと。
 読んでいてものすごく生々しくて、リアルに感じるのは、そこなんですよねー、僕の中では。
 ある意味、無我の境地ですよね……w

 それから、「不条理さ」も、大江小説の魅力じゃないかなと。
 たとえば『人間の羊』では、外国人にいじめられる日本人というのが出てきます。その日本人はけっきょく警察に行っても何も喋らず、自分を手助けしてくれる人からも逃げ出してしまう。
 どうしてだろう? ってなりますよね。まぁ解釈は人それぞれでしょうが……。
 僕は、ここに「相手が悪い」と思っていても、「警察に行ってめんどくさいことになるくらいなら、自分が悪いってことでいいや」とかいう、人間の不条理さみたいなのを見るんです。
 その不条理さに共感というか、語彙力がないのでうまくはいえないのですが、「ほぉ」と思わされるんですよねぇ。

 この世界は、不条理なことの連続で、一つの小説も、けっきょくはその不条理な世界に投げ出された、不条理なものの一つなんですよね。
 大江小説は、その部分で「ほぉ」と思わせてくれます。
 頭の中をバリカンで削られたいぐらいに絶望している方は、読んでみてはいかがでしょうw

大江健三朗『芽むしり仔撃ち』 (新潮文庫)
大江健三朗『万延元年のフットボール』 (講談社文芸文庫)
大江健三朗『ヒロシマ・ノート』 (岩波新書)
日常
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